COLUMN コラム

自分もたいしたことない、という気づき

自分もたいしたことない、という気づき

吉田松陰の言葉を現代語訳で紹介した『覚悟の磨き方〜時代のすべての異端児たちへ〜』という本の中で、ずっと気になっていた言葉があります。

「もっと他人にやさしくしたいなら、自分のことをもっとよく知ればいいのです。自分の中にあるものを認めれば認めるほど、他人の中にあるものを、もっと大切に扱えるようになることでしょう。」

正直、最初は意味がよく分かりませんでした。他人にやさしくしたいなら、相手のことを考える。相手の立場に立つ。そういう話なら分かります。

でも、この言葉は「まず自分を知りなさい」と言っています。そこが、長い間しっくりきませんでしたが、最近になって、あくまで私なりの解釈ですが、ようやく少し腑に落ちた気がします。

きっかけは、子どもに対する自分の未熟さを感じる場面が増えたことです。

子どもには、できるだけ優しく接したい。
しかりすぎず、話を聞いて、気持ちを受け止めたい。

こんな私ですが、もちろん頭ではそう思っています。

それでも実際には、余裕がないときに強く言ってしまうことがあります。あとから考えると、そこまで言わなくてもよかったなと思うこともあります。子どものためと言いながら、結局は自分の都合をぶつけていただけではないかと感じることもあります。

そういう自分を見ると、少し恥ずかしくもなりますが、同時に、この言葉の意味が前より分かるようになりました。

自分だって弱いところもあるし、未熟なところもある。
だから、他人の弱さや未熟さにも、もう少し寛容であっていいんじゃないか。

要するに、そういうことなのかもしれません。

自分にも弱いところがあります。余裕がなくなることもあります。分かっているのにできないこともあります。
正しそうなことを言いながら、実は自分を守っているだけのこともあります。

そういう自分の不完全さを少しずつ認めていくと、他人のことも、簡単には責められなくなります。

人の失敗を見ても、「自分にもあるな」と思う。人の言動に腹が立っても、「自分も余裕がなければ、似たようなことをしているかもしれない」と思う。

もちろん、何でも許せばいいとは思いません。間違っていることは間違っているし、距離を置いた方がいいことも、もちろんあります。

それでも、その人の弱さや不器用さを、少しだけ想像する。それも、やさしさの一つなのかもしれません。

やさしさというと、もっと立派なものを想像していました。人のために何かをすること。優しい言葉をかけること。相手を思いやること。

でも最近は、やさしさの根っこには、もう少し地味なものがあるように感じます。自分の弱さを知っていること。自分も間違えると分かっていること。自分もたいしたことないと、認めていること。

そこから、他人への寛容さが少し生まれるのだと思います。ずっと分からなかったこの言葉が、最近になって、ようやく少し分かるようになりました。

自分の弱さを知るほど、他人の弱さにも寛容になれる。やさしさとは、そんな気づきから始まるのかもしれません。

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