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激務から得た教訓

激務から得た教訓

20代、エンジニアとして過ごした日々は、文字通り命を削るような働き方だった。納品前は一日20時間働くことも珍しくなく、周囲でも過労で勤務中に倒れる人がいたし、心の健康を損ない、会社に来られなくなった同期もいた。吐き気を催しながら、それでも職場に向かう日もあった。今振り返れば異常だったと言えるが、当時はそれが普通だと思い込んでいた。

加えて、今だから言えるが先輩からの理不尽な言動や、恐怖による圧力もあった。いわゆる「しごき」のようなもので、ミスをすれば容赦なく叱責され、逃げ場のない環境に追い込まれることもあった。それでも田舎から上京してきた私は仕事しかなく、耐えるしかなかった。就職氷河期にやっとの思いで就職した会社だし、今思えば、耐え続けることも「成長につながる」と信じていたと思う。

転職し、不動産鑑定士としてサラリーマン生活を送っていた30代前半も、激務は続いた。働き盛りの20~30代の残業や休日出勤が常態化し、疲労は抜ける暇がない。それでも、千葉に転勤になり、人間関係のストレスは少なくなり、業務そのものに集中できるようになった分、少しは救われていたのかもしれない。

働きすぎることが良くないのは言うまでもない。身体を壊し、心を蝕み、家族との時間も奪われる。そんなことはわかっている。ただ、2000年代の職場文化では、それが「当たり前」だった。無理を押し通してでも、成果を上げることが美徳とされていた。

35歳で結婚し、それを機にもう残業や休日出勤はしないと心に決めた。サラリーマンは経営者のために働いている。そう気づいた瞬間、自己犠牲を続けることに意味を見いだせなくなった。息子が生まれて2ヶ月間の育休も取得した(当時の男性育休取得率は2%程度だった)。家族を守るために働きながら、同時に自分の心身は、自分自身で守る必要があると考えるようになった。

あの激務の日々は本当にしんどかったが、今思えば、得たものも大きかった。仕事の基礎力や忍耐力といったものは、あの時代のサラリーマン経験の中で培われたのだろう。少々辛いことがあっても、「あの時に比べれば大したことは無い」と思える。ただ、今の若い世代には絶対におすすめしない。自分自身のために働く起業家でもない限り、無理をしてまで働く時代ではない。過去を正当化するつもりはないが、2000年代はそういう時代だったというだけだ。

働き方が大きく変わった今、独立し、40代半ばを迎えた自分にとって、かつての激務をどう捉え、どう活かしていくのかが課題だ。過去の教訓を踏まえ、周りや次の世代には心身ともに健やかに働ける環境や雰囲気を作ること。それが今の我々世代に課された責任ではないかと感じている。

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