最近、コンピュータサイエンスを学んだ若い方々の就職が、少し厳しくなってきているという話を耳にしました。ここ数ヶ月、採用自体を控える企業も出てきているそうです。
私自身、末端ではありますが、かつて大学でコンピュータサイエンスを学び、エンジニアとして7年間ほど働いていたことがあります。20年ほど前から、エンジニアという職種は社会に歓迎される存在で、実際、私の周囲でも多くの同級生たちがITの世界に進み、それなりのキャリアを築いてきました。
ただ、IT業界にいる同級生の話によると、昨今のAIの進化によりどうやら“誰でもエンジニアになれば食べていける時代”ではなくなってきたようです。もちろん、全てのエンジニアが厳しい立場にあるわけではなく、むしろ一部の優れたエンジニアの方々は、今なお高い需要があるようです。
一方で、かつての私のように、特別優れているわけでもなく、かといって特殊な専門性があるわけでもないのエンジニアにとっては、少しずつ風が冷たくなってきているように思います。
そんな状況を見聞きするたび、ふと子供たちの将来に思いが及びます。私自身も今、2人の子供を育てています。親として、どんな力を身につけさせるべきか、どんな学びが彼らの人生にとって価値を持つのか、考える機会が増えてきました。
もし、たくさんのお金や時間をかけて、ある分野の技術を身につけたとしても、その技術が10年後にはほとんど必要とされなくなっていたら──。例えば不動産鑑定士なら、勉強を開始してから無事合格し、経験を積んで一人前になるまでには最短でも10年はかかります。そう思うと、子供たち何を学ばせるかという選択は、ますます難しく、慎重にならざるを得ません。
今は、AI、量子コンピュータ、自動運転など、次々に新しい技術が一般化し(または近い将来に一般化する見込であり)、それらの相乗効果で社会を加速度的に変えていく、これまでの人類が経験したことのない激動の時代です。「学歴があれば安心」「手に職をつければ一生安泰」といった昔ながらの考え方が、通用しなくなっています。
そうした変化の中で、私がひとつだけ信じていることがあります。それは、「何を学ぶか」よりも、「どう学び続けるか」が大切なのではないか、ということです。
未来のことは、誰にもわかりません。けれど、願わくば、子供たちがどんな時代に生きようとも、自分で考え、立ち止まりながらでも、自分の足で前に進んでいける人になってくれたら──。そう願わずにはいられません。