フラット35の融資限度額(現行8,000万円)を引き上げる方向で国交省が検討に入った、というニュースは、「高くなりすぎた都心マンションをどう扱うか」という問題と正面からつながっています。
個人的に感じるのは、
「救済なのか、後押しなのか、それとも静かな“値段の正当化装置”なのか」
という少しモヤっとした感覚です。
今回は、専門的な視点を交えつつも、生活者・実需・投資家それぞれの立場から、整理してみたいと思います。
1. まず事実関係を整理
フラット35の現状(要点)
- 全期間固定金利(最長35年)
- 民間金融機関が貸し出したローンを住宅金融支援機構が買取る仕組み
- 現在の融資限度額:8,000万円(2005年から据え置き)
- 2025年11月時点の主な金利:借入期間21年以上35年以下で年1.90%(機構公表)
- 長期金利上昇・変動金利の先高観を背景に、2025年7〜9月フラット35申請戸数は前年同期比約5割増(固定志向が強まっている)
一方で、東京都心の新築マンション価格は、2024年 東京23区新築マンション平均価格で「1億1,181万円」(不動産経済研究所)となっており、「8,000万円では届かない実需」が増えているのは事実です。
2. 8,000万円枠を数字で見る
典型的なケースで考えてみます。
ケース:新築1億1,000万円クラスのマンション
| 項目 | 現行制度(上限8,000万円) | 上限が仮に1億円なら |
|---|---|---|
| 物件価格 | 1億1,000万円 | 1億1,000万円 |
| フラット35借入 | 8,000万円(上限) | 1億円(上限まで) |
| 頭金+別ローン | 3,000万円必要 or 残りを変動型等で借入 | 1,000万円で可(または一部他ローン) |
現行上限だと、
- 「年収1,000万〜1,500万円台で、共働き・教育費これから」の層には現実的にかなりきつい。
- 結果として「①あきらめる」「②変動金利でフルローン寄り」「③親からの資金援助頼み」に振れやすい。
上限を引き上げると、
- 「フラット35だけで何とか組める」層が増え、
- 固定金利での長期返済という意味では家計の金利リスクは下がる一方、
- そもそもの価格水準が高いまま“正当化”される危険もあります。
3. 誰が得をして、誰はそれほど得をしないか
少し乱暴に整理すると、以下のイメージです。
上限引き上げの恩恵が大きい層
| 層 | 内容(ざっくり) | 私見 |
|---|---|---|
| 都心新築マンションを検討する共働き高収入世帯 | (例) 世帯年収1,500〜2,500万円、実需・子育て含む | 「固定で組める選択肢が増える」という意味でプラス。ただし返済負担率は要注意。 |
| 一部の富裕層実需 | 以前から買えるが、固定で厚く借りたい層 | 資金調達手段の一つとしての利便性向上。 |
| 高額帯を供給するデベロッパー | 1億〜1.5億レンジの商品 | 「フラット対応で売りやすい」説明材料になりうる。価格の下支え要因。 |
恩恵が限定的な層
| 層 | 理由 |
|---|---|
| 地方・郊外の一般的な戸建・マンション実需 | 多くは8,000万円以内で完結しており、上限引き上げの直接効果は小さい。むしろ「借りられるから背伸びする」ことの方がリスク。 |
| 投資用区分マンション購入者 | フラット35は原則「自己居住用」が対象であり、投資ローンとは別枠。 |
結局、「本当に困っている中間層」全員を救う施策というより、
「高額化した実需マンション市場に、公的固定ローンをもう少し追いつかせる」
という色合いが強いと感じます。
4. 不動産価格への影響:上げる?抑える?
鑑定士として見ると、ポイントは2つです。
(1) 価格を「支える」方向には働く
- 高額物件を購入できる人の裾野を広げる=需要側の支え。
- 売り手(デベロッパー・販売会社)は「フラット35利用可・上限引き上げに対応」という説明ができる。
- 特に1億〜1.5億レンジの物件には、心理的な追い風。
鑑定評価で言えば、高額帯の成約事例が積み上がるほど、「それが市場実勢」として評価に取り込まれていきます。ただし、公的スキームがそれを間接的にサポートする構造には、個人的に少し慎重でいたいところです。
(2) とはいえ、それだけで「バブル加速」とまでは言い切れない
供給コスト(建築費や土地仕入れ価格)は既に高止まりしており、フラット35の上限を引き上げたからといって急に住宅が安く供給されるわけではありません。
結局のところ、実需側の返済可能性(年収水準や家計の余力)が伴わなければ融資残高は無制限に伸びるものではなく、一部の高額帯需要を支えるにとどまります。
ただし、日銀が利上げ局面にあるなかで長期固定ローンの選択肢を広げることは、家計の金利リスクを抑制するという点で一定のポジティブな側面も有しているとも思います。
要するに、
「価格を引き下げる政策ではなく、今の高い水準を前提に“買える人には買わせる”方向の調整」
という理解が現実的だと思います。
5. 地方・郊外・中古市場から見た温度差
地方の現場をまわっていると、正直こんな実感があります。
- 【多くのエリアでは8,000万円上限でも十分】
→ 3,000〜5,000万円台の戸建・マンションが主戦場。
→ 上限引き上げは「別世界の話」に聞こえる。 - 【一部政令市・人気エリアのファミリータイプ】
→ 新築で6,000〜8,000万円レンジも増えていて、頭打ち感はある。
→ 上限引き上げがあれば「新築か中古か」で悩む層に影響は出うる。 - 【中古マンションやリノベ市場】
→ フラット35の技術基準を満たす住宅ストックが増えている中、「新築1億超」と「性能高めの中古5,000〜7,000万円」の比較がシビアになっていく。
上限引き上げだけを先行させると、「新築の超高額帯をより買いやすく」、「中古・郊外・地方との価格差はそのまま/拡大もあり得る」という構図になりかねません。
本音を言えば、
断熱・耐震・長寿命化した中古住宅への支援強化とセットで議論してほしい
というのが現場感覚です。
6. 「長期固定」の裏側にあるリスクと責任
フラット35は「借りる側」から見ると安心ですが、その裏では、
- 機構(公的主体)が長期金利リスクを一部引き受ける
- 将来の金利・物価動向次第では、公的負担・制度見直しリスクも残る
- 高額帯まで公的スキームでカバーすると、「本来は民間で判断すべきリスクまで肩代わりしていないか?」という論点も出る
主観としては、
- 将来の金利シナリオや家計の返済余力を無視した「とりあえず固定なら安心」という空気は危ない
- 一方で、変動一本でフルローンを組んでいる若い世帯に比べれば、フラット35拡充は「防波堤」として評価できる面もある
このあたり、「制度としてどこまで面倒を見るのか」を透明に議論してほしいところです。
7. 実務(鑑定・投資)の観点からどう扱うか
(1) 鑑定評価への影響
高額住宅地やタワーマンションの取引事例を分析するにあたっては、「フラット35の上限引き上げ等を含む資金調達環境の変化」が価格形成要因として作用している可能性に留意する必要があります。
とりわけ、「政策による一時的な購買力の押し上げ」をどのように評価するかは、還元利回り(キャップレート)そのものに直接反映というよりも、将来にわたる賃料水準及び実需・投資需要の持続性を検証する際の視点として位置付けでしょう。
(2) 投資家・金融機関の視点
フラット35は投資用物件には直接利用できないものの、実需価格の下支えを通じて担保価値の安定に寄与し得るという間接的な効果はあると考えられます。
一方で、高額帯の実需ローンが不良化した場合の影響は小さくなく、金融機関としては「フラットだから安全」と安易に判断するのではなく、返済比率や家計の余力を含めた実質的な返済可能性を冷静に見極める姿勢が求められます。
8. これから家を買う人へ
制度がどのように見直されても、本コラムでも何度も書いたとおり、現場で一貫してお伝えしたいことはごくシンプルです。まず、「借りられる額」ではなく「無理なく返せる額」を基準に考えることが何より重要です。
また、フラット35の上限が引き上げられたとしても、年収に対する年間返済額のバランス、いわゆる返済比率は必ず冷静に確認していただきたいところです。
さらに、「固定金利だから安心」と考え過ぎず、将来の教育費、建物・設備の修繕費、親の介護負担など、暮らしに関わるコストを含めて長期的なキャッシュフローをシミュレーションしておくことが望まれます。
そのうえで、高額な新築マンションだけでなく、性能の高い中古住宅やリノベーションという選択肢も含めて、公平な目線で比較検討していただくことが大切だと感じています。
制度拡充自体は決して悪い方向ではなく、長期固定を選びやすくするという意味ではよいですが、最終的には「制度に合わせる」のではなく、「自分たちの暮らしと家計に合わせて選ぶ」姿勢が何より重要だと考えています。
鑑定士としては、
「上限が上がったから、今の相場が正しいんだ」という空気だけは少し疑っておきたい。
不動産は人生に長く付き合うインフラです。
目先の短期的で派手なキャッチコピーより、手元のキャッシュフローと自分の暮らし方を長期的に考えていく方が、よほど堅実で、結果的に得をすると思っています。