「家賃が上がった」「次も同じ条件で住める気がしない」
ここ1〜2年、都心の賃貸の現場を見ていると、そういう言葉がだいぶ“日常語”になってきました。
日本経済新聞の報道では、家賃を上げやすい「定期借家」が都心で広がり、東京23区では2025年に“約1割”に達した、とされています。それを踏まえ、(少しだけ)賃貸経営の当事者目線も混ぜて読んでみたいと思います。
結論を先に言うと、
- 定期借家は「家賃を上げる魔法」ではない
- だが、インフレ下で“上げやすい型”として選ばれやすい
- その結果、都心では「住む側の不確実性」がじわじわ増えている
この3点が本質になると思っています。
1. 東京23区で“9.5%”、4年でほぼ倍
LIFULLの調査(LIFULL HOME’S掲載データ)では、東京23区の定期借家掲載シェアが2022年5.8% → 2025年9.5%まで上がっています。
また、渋谷区は18.1%と2割に迫る水準、10%超の区が12区ある、というのも生々しいです。
表1:東京23区「定期借家」の伸びと家賃水準
| 年 | 定期借家の掲載シェア | 普通借家 平均賃料 | 定期借家 平均賃料 |
|---|---|---|---|
| 2022 | 5.8% | 178,247円 | 217,553円 |
| 2023 | 5.9% | 191,039円 | 234,924円 |
| 2024 | 7.1% | 202,187円 | 249,377円 |
| 2025 | 9.5% | 221,957円 | 259,279円 |
この表で気になるのは「定期借家=安い」になっていない点です。平均賃料はむしろ定期借家の方が高い。つまり、“都心の良い物件(築浅・利便性・グレード)で採用されやすい”という匂いがします。
2. 貸し手が「悪者」になり切れない理由
普通借家は、借地借家法の枠組みの中で「借り手が守られる」場面が多い。一方、定期借家は期間満了で契約が確定終了し、続けるなら再契約(条件は新たに合意)という形です。
これを乱暴に言うと、
- これまでは:借り手が“住み続けられる強さ”を持ちやすかった
- これからは:貸し手が“出口(満了)”を握りやすい
オーナー側の本音としては、「できれば、こちらで条件を調整できる状態にしておきたい」。家賃もそうですし、退去・大規模修繕・建替えの判断も含めてです。
定期借家が増えている背景を整理すると、
(1) 管理コスト上昇が効く
人件費・修繕・設備更新・保険料・光熱費——地味な項目ほど上がっています。物価自体も上がっており、東京都区部CPIは前年同月比で上昇が続いています。
(2) 需要が強い(=空室が怖くない局面)
賃料のインデックスでも、東京23区の上昇が続いて過去最高更新、というニュースがありました。三井住友トラスト基礎研究所の賃料インデックスでは、2025年Q3で東京23区が前年同期比でプラスが続くとされています。
需要が強い局面では、貸し手は「次の入居者が見つかる」前提で動ける。これは間違いなく制度選択に影響しているでしょう。
(3) “更新がない”のでインフレと相性がいい
定期借家は、期間満了で終了し、合意すれば再契約という枠組みです。制度としても「期間満了で確定的に終了」と明確に定期されています。
インフレ局面では、貸し手は「市場賃料とのズレ」を早く修正したい。普通借家だと、理屈と実務の両方で摩擦が出やすい。ですから“型”として定期借家が選ばれやすくなります。
3. 鑑定の視点
鑑定評価の現場ではつい単純化しがちですが、「家賃上げやすい=収益増=価格上がる」——と言い切ると、私は危ないと思っています。
表2:収益還元(DCF含む)のポイント
| 観点 | 定期借家で起きやすいこと | 評価への影響(例) |
|---|---|---|
| 賃料改定 | 再契約時に市場へ寄せやすい | 成長率(賃料改定)の“夢”は描けるが、根拠が要る |
| 空室・入替 | 退去が制度上起きやすい | 空室率・募集費・原状回復費が増えやすい |
| テナント属性 | 短期志向(転勤・法人・富裕層等)になりがち | “安定収益”より“回転型収益”に寄る |
| 交渉力 | 需給逼迫時は貸し手が強い | 市況前提が崩れた瞬間、反動が出やすい |
| キャップレート | 「賃料上げやすさ」だけで下がらない | リスク(入替・空室)をどう見るかが勝負 |
要するに、定期借家は「上げやすさ」と引き換えに「不確実性」も抱えています。評価の数字に落とすなら、私はだいたいこれを評価に反映します。
- “上げやすさ”は 賃料成長率(または改定シナリオ)に反映
- “不確実性”は 空室率・費用率・割引率(リスクプレミアム)側で回収
この両方を置かないと、評価がちぐはぐになるからです。
4. 借り手側は「住める期間」が不確実
私は定期借家に住んだことはありませんし、弊社の物件も普通借家ですが、定期借家の借り手の痛点は、家賃水準そのもの以上に、ここではないでしょうか。
- 満了で終わる前提(更新はない)
- 再契約は合意次第で、条件が変わる可能性がある
- 引っ越しコスト(初期費用・移動・子育て・学区)が“将来コスト”としてかかる
家計から見ると、これは実質的に「住居費の変動リスク」です。
都心でそれが増えると、家賃インフレが“加速して見える”のも自然だと思います。
5. 定期借家が増えるほど「市場が短期化」する
定期借家制度は本来、「短期間だけ貸したい」「戻って住みたい」などの事情にフィットするように作られた面がありました。ところが今は、インフレ下で“賃料調整の道具”としての利用が前に出ている、という指摘もされています。
市場が短期化すると、何が起きるか。
- 賃料が“スポット価格”に寄る(繁忙期の影響を受けやすい)
- 借り手は長期目線の意思決定がしにくい
- 結果として、住み替え弱者(子育て・介護・低所得)ほど負担が増える
ここまで来ると、単なる契約類型の話ではなく、都市の生活コストの話になります。
まとめ
私は、定期借家そのものを否定したいわけではありません。
ただ、都心で1割規模になってくると、借り手にとっては「例外」ではなく、最初から織り込むべき“前提条件”になってしまう気がします。
背景には、借地借家法の枠組みの中で借り手が守られてきた局面から、インフレ下でオーナー側も「コスト上昇を吸収し続けるのは難しい」「条件は自分でコントロールしたい」という流れが強まっていることがあると思います。
加えて、通貨や金融商品の値動きが不安定なときほど、金や不動産など“現物”の価値が意識されやすい——そうした空気も、賃料の見直しを後押ししているのかもしれません。
鑑定の立場から言うなら、今後の賃貸系の評価では、見た目の賃料水準だけで判断せず、少なくとも次の点をこれまで以上に丁寧に拾わないと、数字が現場感からズレていく恐れがあります。
- 契約形態(普通借家/定期借家)
- 再契約時の条件変更の実態(賃料改定・更新料・特約など)
- 入替コストと空室の見込み(募集費・原状回復・退去リスク)
私自身、まだ整理しきれていない部分もありますが、少なくとも都心の賃貸は「家賃がいくらか」だけでなく、「その条件でどれだけ続けられるか」まで含めて評価すべき局面に入ってきた——そんな感覚を持っています。